生涯
・ゴータマ・ブッダネパールの釈迦族のカピラヴァットゥ国の王子として生まれた。
母のマーヤーが出産のため実家に戻る途中、郊外のルンビニー園に立ち寄ったとき産気づき、ブッダを生んだ。
「ゴータマ」は姓で、「もっとも良い牛」を意味する。
「ブッダ」は「目覚めた人」、「悟った人」を意味し、固有名詞ではない。
「シッダルダ」が名前で、「目的を達成した人」を意味する。
「釈迦」はブッダが釈迦族の出身であることに由来していて、「釈迦」は「サキヤ(力あるもの)」を音写した言葉。
ゴータマ・ブッダの出生年代は紀元前400年前後と言われているが、インドには年代を性格に記録した資料が皆無に近いのではっきりしない。
・ゴータマ・ブッダが生まれて7日目に母親が亡くなり、叔母のパジャーパティーが養育した。
・王子として優雅な生活を送っていたが、繊細で傷つきやすく、物思いに耽りがちだった。そんな息子を心配した父王スッドーダナは、ゴータマ・ブッダが16歳のときにヤショーダラー妃と結婚させた。二人の間には子ラーフラが生まれた。
・29歳のとき、愛する妻も子も捨てて出家した。
ゴータマ・ブッダが、郊外の遊園地に遊びに行くために、東の門を出ると老人に会い、南の門を出ると病人に会い、西の門を出ると死人の屍を見て、最後に北の門で出家遊行者の円満な容貌を見て、出家の決心を固めたという「四門出遊」の伝説が伝えられる。
・アーラーラ・カーラーマ仙人、その後ウッダガ・ラーマプッタ仙人に師事したが、いずれの高名な仙人の教説もすぐにあきたらなくなり、ウルヴェーラーという地で一人で苦行に入った。
・しかし、そのような苦行も真実の道ではないと知り、最後は地主の娘スジャーターの捧げた乳粥を食べて苦行を捨てた。そして、気力を回復してから菩提樹の根元で瞑想し、悟りを開いた。35歳のときと言われる。
ウルヴェーラーは後にブッダガヤーと呼ばれるようになる。
・最初は悟りの境地を一人で楽しんでいたが、伝導を行う決意をし、旅に出た。
ゴータマ・ブッダの教えによって悟りを開き、弟子となった者や、ゴータマ・ブッダの人徳を慕い集まった人々が、各地に小集団を形成し、この教団は後に「サンガ(和合衆)」と呼ばれる。このサンガと仏、法を「三宝」という。
・80歳になったゴータマ・ブッダは弟子達を連れ、故郷を目指す最後の旅に出た。
しかし、旅の途中、自分の死期が近いことを悟ったゴータマ・ブッダは、近くに住む修行僧を集め、多くの人々の幸福のために法をよくたもち、実践し、実修し、盛んにするように、自分は3ヵ月過ぎた後に入滅するだろう、と告げ、最後の力を振り絞り、クシナーラーへ向かった。
・クシナーラーに着いたゴータマ・ブッダは2本のサーラ双樹の間に、頭を北に向けて、右脇を下にし、右足の上に左足をかさねて横になり、弟子達にさらなる精進に励むよう促し、息をひきとった。
思想
・十二支縁起
十二支縁起とは、無知から生起して生活作用、識別作用、名称と形態、六つの感受機能、対象との接触、感受作用、妄執、執着、生存、出生、老いと死まで順に起こる12の項目で、この前の項目が起こることによって後の項目が起こるという考察を「順観」という。それに対して、前の項目が滅すれば後の項目が滅するという考察を「逆観」という。この順観と逆観の考察をゴータマ・ブッダは3回ずつ行い悟りを開いたと言われている。
・中道
中道とは中途半端のことではなく、どこか一辺にとりつかれることなく超越していくことであり、しかも中に固執することすら否定する涅槃に通じる道のことである。
またこと中道は調和に通じるものであるともいわれる。
・八正道
中道の実践の方法
@正しい見解・・・真理に関する知識
A正しい考え方・・・煩悩を離れる、怒らない、傷つけ害しない、という3つの思い
B正しい言葉づかい・・・虚言、そしる言葉、荒々しい言葉、ざれごとを止めること
C正しい行為・・・殺生、盗み、愛欲に関する邪な行いを捨てること
D正しい生活・・・正しい生活法にかなった衣食住のこと
E正しい努力・・・悪に対抗し善を増大させる努力
F正しい思念・・・身体、感受性、こころをよく観察し、気づかい、世間における貪り、憂いを制すること
G正しい瞑想・・・欲望を断ち、正しい精神統一の状態にあること
初期の仏教でまず勧めることは、ただ「信じる」ことではなく、「正しい見解」をもつことが求められた。
・四聖諦
4つの真理
@苦しみという聖なる真理
A苦しみを引き起こす原因という聖なる真理
B苦しみの止滅という聖なる真理
C苦しみの止滅に至る道という聖なる真理
を指し、苦しみとは生、老、病、死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦の四苦八苦を意味する。
人間存在の現実は苦そのものであり、その苦を生起する欲望が人間存在の根底にあり、その欲望を止滅すれば苦からの自由である解脱、涅槃に達することができ、その止滅をいかにして達成するかといえば「八聖道」にほかならない。この4つの真理の教えはもろもろの教説の中でももっとも優れたものと考えられ、長く仏教の究極の教えとして尊重された。
・ダルマ
ゴータマ・ブッダは、たとえ師がいてもいなくても、頼るべきものは他人ではなく、各々の自己と、法であるといい、その普遍的な宇宙の理法を<ダルマ>と呼んだ。ダルマはいかなる人、いかなる場所においても普遍的に実現されるべき真理を意味し、インド思想上ほかに例を見ない重要な言葉であると考えられる。
・筏のたとえ
ゴータマ・ブッダは法に頼ることを勧めたが、その法は普遍的なものであるとはいえ、個々の人間によってその現れ方は異なった。ゴータマも弟子たちそれぞれの素養や立場を尊重しながら法を説き、その法を向こう岸に渡る筏にたとえて、その筏で向こう岸に渡ったならば、その筏がどんなに自分にとって有益であったとしても、もはや執着することなく捨てるべきであるといった。
他のもろもろの宗教の開祖でこのような発言をした人物はいない。ゴータマ・ブッダのように、真理を観る立場にたつと、真理に到達できるならばどの宗教にも固執することがなくなり、ゆえに仏教は宗教戦争を起こしたことのない平和主義の宗教となった。
・人間観
仏教における人間存在ならびに現象世界は5種の構成要素(五蘊)によって成り立っていると考えられた。
@物質的なもの・・・食物から生起するわれわれの身体
A感受作用・・・感覚器官が認識対象と接触することによって生ずる感受作用
B表象作用・・・感受作用によって感受したものをこころの中で概念化すること
C形成作用・・・認識対象に対して自らの意志によって積極的にはたらきかける意志作用
D識別作用・・・感覚器官が認識対象を区別し認識する識別作用
仏教の人間観は、形而上学的存在を想定することなく、あくまで実際に経験できる事実にもとづいている。
これらの5つの構成要素からなる人間は必ず老い、病にかかり、死ぬという苦しみから逃れられない。ゴータマ・ブッダの思索の出発点はこの苦しみであるが、苦とは必ずしも生理的、心理的な苦痛だけでなく、例え快楽の中にあっても感受されるものはすべて苦である。初期の仏教では苦とは何かにとらわれて自由でない状態のことを意味している。
・三法印
仏教の教えの特徴を示すものとして、
@諸行無常・・・一切の現象は変化して止まない
A諸法無我・・・いかなる存在も我という不変の実体をもたない
B涅槃寂静・・・迷妄の消えたさとりの境地は静かな安らぎである
という三法印が説かれる。とくに諸行無常は仏教の特徴を示すものとしてよく知られ、ゴータマ・ブッダも入滅の直前に、もろもろの事象は過ぎ去るものであるから怠ることなく修行せよ、と弟子たちにいった。
また仏教は無我説をその根本思想の1つとしているということが知られているが、無我とは、自分の所有と思っているものはつねに変滅するので、それに対する執着を捨てることを意味する。
・人間の平等性
当時のインド社会ではバラモン(バラモン教の司祭)、武士、庶民、奴婢という四姓制度による不平等が定着していたが、ゴータマ・ブッダは、「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」といって、人間は本来平等で、生まれではなく、行為こそが問われるべきであると述べた。
・七仏通戒偶
諸悪をなすことなく、
諸善を奉行し、
自ら其の意を浄める、
是れ諸仏の教えなり
これは七仏が共通の戒めとした詩で、仏教は結局この1つの詩に帰着するともいわれている。
ここでいう善悪とは単に倫理的概念ではなく、みずからのこころの問題のことで、悪は苦、善はさとりに役立つ行為のことをさす。
・親子の倫理
@両親を養う、A両親のためになすべきことをする、B家系を存続させる、C財産を相続する、D祖霊を供養する、べきであるということを説いている。
反対に父母は子に、@悪から遠ざける、A善に入らせる、B技能を習得させる、C適当な相手と結婚させる、D時期をみて家督を譲るということをすべきだと教えている。
・師弟、夫婦の倫理
師弟の弟子には、@座席を立って礼をする、A近くに侍する、B熱心に聞く、C給仕する、Dうやうやしい態度で学芸を受ける、と説き、師は、@よく訓育し、指導する、A会得したことを忘れないように受持させる、Bすべての学芸の知識を説明する、C友人たちに弟子のことをほめる、D諸方においても利益と尊敬を受けるように庇護する、という仕方で弟子を慈しむべきであると教えている。
夫婦の夫については、@敬意を払う、A軽蔑しない、B道を踏みはずさない、C権威を与える、D装飾品を与える、という仕方で妻に奉仕し、妻は、@仕事をよく処理する、A眷族をよく待遇する、B道を踏みはずさない、C財産を守る、Dなすべきことに勤勉である、という仕方で夫を慈しむように説いている。
・良家の子と友人同輩の倫理
良家の子とは仏教では行いの立派な人を指し、@布施する、Aやさしい言葉を使う、B人のために尽くす、C協同する、D欺かない、べきであると述べ、友人に対しては、@酔って無気力なときに守ってやる、A無気力なときに財産を守ってやる、B恐れているときに庇護者になってやる、C逆境にあるときも見捨てない、Dかれの子孫をも尊重する、べきであるといっている。
・主人と使用人の倫理
まず主人は、@能力に応じて仕事を与える、A食物と給料を与える、B病気のとき看病してやる、Cおいしい食べ物を分かち与える、D適当なときに休ませる、という仕方で奉仕することを教え、雇い人は、@主人よりも早く起きる、A主人よりも後に寝る、B与えられるものだけ受ける、C一所懸命に仕事に励む、D主人の名誉と賞賛を吹聴する、という仕方で主人を慈しむべきであると説いた。
さらにゴータマ・ブッダはこのほかに、日常生活の上での倫理の諸問題について、@殺生をしない、A盗みをしない、B邪な淫らなことをしない、C虚言をしない、D酒を飲まない、という指針を与えている。
・慈悲の実践
今日の倫理的常識やキリスト教で「愛」は重要な概念であるが、仏教での「愛」は渇愛を意味し、衝動的な欲求、つまり苦の根源として否定されている。それに対して仏教で強調されるのは「慈悲」の実践である。「慈」とは「友情」や「親愛の情」を表し、同朋に安楽をもたらそうとすることを意味する。「悲」とは「哀憐」、「同情」を表し、同朋から不利益や苦を除去しようとすることを意味する。慈悲は純粋な愛であり、世俗の愛とは本質を異にする。
仏教でなぜ他人を慈しまなければならないかというと、それは誰でも自分を愛していて、自分よりも愛おしいものはどこにもない。すべてのものは生を愛し、死を恐れるから、したがって自分を愛するものは我が身と比べて他を殺してはならないからである。
仏教ではさらに、「喜」という他を幸福にすることと、「捨」というすべてのとらわれを捨てることを合わせて、「四無量心」という4つの広大な利他のこころの実践を勧めている。
・ダンマパダ
古来から日本の仏教徒に親しまれ、有名な仏典に「ダンマパダ」がある。「ダンマパダ」とは「ダルマのことば」を意味し、したがって現代語で「真理のことば」と訳される。ダンマパダは人間そのものに対する鋭い洞察と反省を端的に述べ、人生の指針となる警句や金言に満ちている。
代表的なものとして
・じつはこの世において、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの止むことがない。怨みを捨ててこそ止む。これは永遠の真理である。
・こころは促えがたく、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。そのこころをおさめることは善いことである。こころをおさめたならば、安楽をもたらす。
・もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、愚者だといわれる。
・頭髪が白くなったからといって長老なのではない。ただ年をとっただけならば空しく老いぼれた人といわれる。
・怨みをいだいている人々の間にあって怨むことなく、われわれは大いに楽しく生きよう。怨みをいだいている人々の間にあって怨むことなく、われわれは暮らしていこう。
などがある。
・自灯明、法灯明
ゴータマ・ブッダの遺言
自己を島とし、自己を頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所としないように。今も自分の死後もそれができている人は、ゴータマ・ブッダの修行僧として最高の境地にあるだろう
参考文献:NHKライブラリー「ブッダを語る」前田専学
朝日文庫「ブッダの夢」河合隼雄、中沢新一